幕末の英雄と称される坂本龍馬は現代でも多大な人気を誇る歴史上の偉人とされています。
彼の生きた明治維新を掲げて動く時代は、この国のありかたを大きく変えた出来事として様々な話となり残されています。
武士の立ち回った幕末から明治維新へと流れていくこの時代はありとあらゆるもの、事柄、生き方までもが大きく変わっていきました。
それは坂本家の立場や坂本龍馬の歩む道にも表れています。
一体この明治維新の時代で何が変わり、どのように流れて行ったのでしょうか?
それでは坂本龍馬が走り抜けた明治維新の時代についてお話していきます。
武士の地位を買う時代
まず様々な事をしていく坂本龍馬は一体何者だったのか?
正確にはどのような地位や立場であったかといいますと、その始まりは大商人「才谷屋」の分家の生まれの子供でした。
本体である「才谷屋」は酒屋も営み、その後は質屋なども始める事となります。
祖の分家である坂本龍馬の家は非常に裕福な家庭であったといえるでしょう。
その事から下級武士の株を買い、苗字を持ち刀を持つ事となったといいます。
そうです、ここですでに時代が変わっていることが分かるのです。
生まれが武士なら武士。
農民なら農民という身分制度はこの明治維新の始まるよりもまだ前であるというのにすでに緩くなっていたのです。
更に坂本家は通常の武士の家よりもはるかに裕福な家でもあったのです。
だからこそ元が兆人であった龍馬が武士になりその後の人生に向けて様々な経験をしていったと言ってもいいのでしょう。
明治維新の中で起きた事
明治維新が起き明治政府は今まであった事の多くを変えていきました。
目立ったものを言うと、武士は日本そのものでありその象徴を廃する法、廃刀令などが有名でしょう。
その他にも西欧文化の導入に身分制度の廃止(変更とも言います)に廃藩置県などが挙げられます。
今までの文化そのものといっていい文化が一気に西欧型の国へと変わっていったのです。
明治維新にたどり着くまで
少しずつ緩んでいった幕府の体制が先程の明治維新のあたりで一気に変わっていきました。
それは大きく変わっていきましたが、これこそが坂本龍馬の目指したものの1つである「大政奉還」の作り出したものでした。
元々、幕府は既にその体制を保てるギリギリのところまで来ていたところを武力行使で薩摩藩や長州藩は崩してしまおうと考えていました。
しかし、坂本龍馬が目指したのは平和的な討幕でした。
その為に坂本龍馬は走り回り、会社を作り、つながりを作り、薩長同盟を締結させる事により対話での討伐を成功させたのでした。
坂本龍馬はその後の時代を見る直前でこの世を去る事となりましたが、彼と共に歩んだ人々や影響を受けた人々の手によって、現代に繋がっていったのです。