京都にて坂本龍馬の人生に深いつながりを持つ近江屋と池田屋とそこで起きた事件とは?

幕末の英雄、坂本龍馬はその短く太い人生を京都で終わらせることとなりました。

もっと言うならば、坂本龍馬は京都で多くの事件に合い多くの事をしてきました。

その結果が、暗殺という形で命を落とすこととなりました。

そんな坂本龍馬の人生ですが実際に京都では大きく分けても有名な事件は3つもあっているのです。

「寺田事件・池田屋事件・近江屋事件」の3つです。

これほどまでに命の危険を伴うような事件に合う人物も、当時の偉人では珍しいのではないかというほどの遭遇率です。

それでは、京都で坂本龍馬が人生において深いつながりのある事件である池田屋事件や近江屋事件についてお話していきます。

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池田屋事件とは?

まずは、直接坂本龍馬が関わった訳では無いとされつつも、多くの長州藩・土佐藩などの尊王攘夷派志士が関わった事から無縁ではないとされる池田屋事件についてお話していきます。

この池田屋事件というのは別名では「池田屋事変・池田屋騒動」とも呼ばれ知られており、1864年7月8日に「池田屋」に潜伏中の長州藩や土佐藩の尊王攘夷派志士に新選組が襲撃をしたとされる事件です。

尊王攘夷派志士は過激派とされており、御所の焼き討ちなども計画しておりそれらを防いだという事で鉱石を称えその名を知らしめる事件になりました。

この事件が起きた際に優秀な人材が多く亡くなってしまった事から明治維新が遅れたとされることを言われたりもしていますが、実際はこの事件をきっかけで早まったのではないかとも言われています。

近江屋事件とは?

1867年11月15日に起きたこの近江屋事件は、坂本龍馬が京都にて殺されたとされる事件になります。

この近江屋事件においては坂本龍馬と同行していた中岡慎太郎も同じく襲われており、その真相を伝え数日後に亡くなったとされています。

この近江屋事件においての犯人説には多くのものがありますが、いまだその真相は分かっていません。

襲撃の際、坂本龍馬は即死であったという事や、犯人像については中岡慎太郎も語ってはいたものの、やはり推測と説の域を出るものが無いとされています。

同時に坂本龍馬の痰所美でもあったとされています。

その他の事件

この他に坂本龍馬が京都であった事件として有名なのが寺田屋事件ではないでしょうか?

1866年に起きたこの池田屋事件は伏見奉公の坂本龍馬襲撃事件といわれています。

しかし、その異変にいち早く気付いた後の妻、お龍の機転により反撃と逃走に成功した坂本龍馬は、負傷しつつも生死に一生を得ます。

この後、傷の療養とかねて日本初の新婚旅行に行くことになるのでした。

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