坂本龍馬と寺田屋事件の周辺について

幕末の英雄、坂本龍馬と聞くと様々なエピソードに事件などを思い浮かべる方が多くいる事でしょう。

それは、彼の成した事や逸話。

名言に巻き込まれた事件なども大いに含まれます。

世に出て活動していた時期から考えるとそこまで長くはなかったはずでありながら、その量はずいぶんと多いように思えます。

それほどまでに、坂本龍馬は多くの事をしており、多方面に影響を与えたという事になるのでしょう。

同時に坂本龍馬は多くに良くも悪くも注目され、狙われることもあったようです。

最初に彼が狙われたと大きく知られているのは寺田屋事件が知られています。

しかし、この寺田屋ですが、坂本龍馬の事件以外でも何やらあった様子。

その事件と事件の起きた周辺には何があったのでしょうか?

それでは、坂本龍馬と寺田屋事件の起きる周辺の状況についてお話していきます。

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1度目の寺田屋事件について

まず、先に述べた通り寺田屋では坂本龍馬の事件以前にも大きな事件がおきていたようです。

それが1862年5月21日に起きたとされる別名「寺田屋騒動」とも言われる当時の薩摩藩の尊皇派を島津久光が鎮撫した事件です。

当時の尊皇派は薩摩藩は後の世の様とは違うとされています。

どちらかというと倒幕前なので幕府側の色が濃いとされています。

その為に鎮圧する側と志士たちの衝突とが起きたのが、1度目の寺田屋事件であるとされています。

2度目の寺田屋事件について

それから4年後の1866年1月23日に起きたのが多くの人が知る、坂本龍馬の関わった寺田屋事件となるのです。

小知多は多くの人が知る様に薩長同盟の会合後の坂本龍馬が薩摩藩士に変装し、長州藩護衛である三吉慎蔵などと寺田屋に止まっていた時に起こります。

夜中(大体深夜2時頃とされています)に伏見奉公の人間30人に囲まれる寺田屋ですが、坂本龍馬の妻であるおりょうが気づいて知らせたことから、事なきを得たといわれています。

勿論その隙に逃れるという事は出来ませんでしたが、このおかげで助かったとされています。

寺田屋で起こる事件は女将の影響?

さて、2度にわたり大きな事件があったこの寺田屋ですが、「どうしてこの宿でばかり?」と誰もが首をかしげてしまうことでしょう。

その理由は、実は女将である「お登勢」の存在があるのでした。

では、このお登勢という女性は悪い人であったのかといわれそうですが、むしろ逆なのです。

趣味が人の世話とまで言われるような女性であったらしく、幕府に目を付けられていた人間などをかばったり、陰らか支えたりをしていたようなのです。

坂本龍馬もまさにそんな口でしょう。

現に坂本龍馬も彼女への手紙は泣き言などが多かったとか。

彼女自身は豪胆で着物座った女性でもあり、事件で亡くなった薩摩藩士の葬儀も取り仕切っていたようです。

その後幕府から目を付けられ投獄の危機はあったものの、そうはならずに天寿を全うしたとされます。

こういった人々がいて、坂本龍馬は日々を生きていたのだとされています。

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