坂本龍馬の暗殺日と暗殺場所は?その理由とは?

幕末の英雄、坂本龍馬は激動の時代を新時代を築くべく走り続けました。

その中で成された多くの事は、後の世において大きな影響を与え多くの坂本龍馬ファンを熱くさせ、歴史的にも様々な説を議論させる結果となりました。

これほどまでに影響のある坂本龍馬ですが、彼の取り組み目指した「大政奉還」が成された直後に何者かに暗殺をされてしまうのでした。

暗殺日は彼の誕生日であり、暗殺場所についても歴史に名を残したもののその理由すら分からないという、謎に満ちた最期を迎える事となりました。

それでは、坂本龍馬の暗殺日と暗殺場所とその理由について残る多くの説から紹介していきます。

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坂本龍馬の暗殺日と暗殺場所

大政奉還の直後。

これから新時代が始まるというその時に坂本龍馬は何者かに暗殺されてしまいます。

その時の彼は享年33歳というまだ先のある身でした。

その暗殺日は何の偶然か11月15日と彼の誕生日であったと言います。

もちろん今とは数え方に違いがあるためいくらかのずれはあるものの、誕生日が暗殺日で命日という内容は大いに目を引く事となります。

そしてその暗殺場所は、当時坂本龍馬が定宿として使っていた近江屋という場所だったと言われています。

正確には暗殺場所はその近江屋の二階とされ、午後9時過ぎに刺客の襲撃を受け、同じ場所にいた中岡慎太郎も同様に重傷を負い、龍馬は即死で中岡慎太郎は数日後に死亡したとされます。

坂本龍馬が暗殺された理由について

さて、本来ならばほとんど暗殺などとは無縁な坂本龍馬ですが、彼は新時代の為に多くの事をなし、同時に多くの敵を作ってきました。

それこそ、何時暗殺されるのかもその理由もあまりにも多すぎで本人すら把握できるものではなかったのかもしれません。

それでも虫の知らせだったのか、暗殺の5日前に福井藩の重臣であった中根雪江あてに新たなる時代の為の政府含む新国家についての書状をしたためていたようです。

それほどまでに多くの危険が彼にはあったと思われます。

考えてみれば、一浪人でしかなかったはずの龍馬が商社を設立して薩長同盟を成した時点で、血気盛んに戦を準備していた藩士たちから反感を買う事もあったとされています。

また別の説では、実は龍馬よりも重要な人物として見られてた中岡慎太郎が暗殺対象であり、その巻き添えになってしまったという説もあります。

それ以外にも様々な黒幕や実行犯の名前などが多く上がり、多くの説が唱えられているのです。

最後に

新たなる事をすれば多かれ少なかれ、どこかから反発を買うのは間違いない現実です。

坂本龍馬は国の新たなる時代そのものに干渉したが為に起きた事態というべきだったに違いありません。

しかし、彼の名は暗殺事件後も多くの人に影響を与え続けているのです。

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