歴史とはこの世が始まって以来続いている記録です。
故に長く重く、とてもじゃないですが簡単に理解できるものではないとされています。
それが例え有名な歴史の偉人の人生などであっても、簡単にひも解くということは中々に難しいとされています。
ですがそれでもサッと簡単に、それこそドラマや漫画などで興味を持った歴史上の偉人ならば特にすぐに知りたいと思う方も多いようです。
例えば坂本龍馬は幕末のヒーローです。
本も多く出ています。
ただ、歴史とはずいぶん違うという話も同じくらい多い人物です。
それでは、坂本龍馬について歴史を簡単にひも解いてお話していきます。
坂本龍馬とは?
まず、簡単にとは言いましたが基本である出身地などについてお話しましょう。
坂本龍馬は土佐藩出身の武士の家系に1836年1月3日に生まれ、1867年11月15日に近江屋にて33歳で暗殺されて亡くなったとされています。
坂本龍馬は武士の家の次男で末っ子として生まれ2男3女という家庭に生まれ、非常に裕福な家の子供でした。
坂本龍馬の歩み
その歴史上の歩みとしては1846年、12歳で楠山塾に入りはしてもすぐに退学し、同時期に母親の幸をなくしています。
この頃の坂本龍馬は今知られる彼とは違い、出来もあまり良くないとまで言われていたとされます。
1848年、14歳になった坂本龍馬は日根野道場へ入門します。
その後1853年19歳の坂本龍馬は江戸へ遊学に出て、千葉定吉野津場へ入門します。
同時期佐久間像山塾へも入学して砲術を学んだとされます。
この年の6月にペリーの黒船襲来に遭遇しますが同時に将来を大きく変える思想が芽生えていきます。
1861年の27歳の頃に武市半平太たちの土佐勤王党へ参加します。
1862年28歳の時に土佐藩を脱藩し、勝海舟の門下生となりました。
1865年31歳で亀山社中を組織。
この貿易会社はのちに海援隊となっていきます。
1866年32歳で薩長連合の斡旋し、同時期に寺田屋襲撃が起きました。
この時期に妻お龍とのエピソードなどもあったとされています。
1867年33歳に舩中八策を起草し、同時期にいろは丸事件が起きます。
そして同年に近江屋で暗殺されるのでした。
坂本龍馬が残した歴史とは?
強い日本を作る為に坂本龍馬は幕府の将軍から政権を天皇へ帰すことを考えます。
これが大政奉還と後に伝えられる大きな歴史であり、坂本龍馬の目指した事でした。
その為に薩長同盟を原動力にすべく結ぶために奔走したり、会社を興すなど様々な事をして、33歳という若さで暗殺されその生涯を閉じたとされます。