幕末の英雄、坂本龍馬というと今やだれもが知る歴史上の偉人です。
大政奉還という大義の為、多くの人をつなぎ走り回ったとされています。
ですが、実際には彼は一流浪の身でしかなく、身分と呼べるものは持っていませんでした。
では一体彼は何をしていた人なのかと思われるでしょう。
実際に彼の職業は政治家ではなく、貿易会社の立ち上げをした人物なのです。
故に人との繋がりが多く、新時代についても考えたが為に大政奉還等大義達成の為に動いていたのでした。
それでは、そんな坂本龍馬と貿易会社の歩みについてお話していきます。
亀山社中という商社について
さて、一番最初に坂本龍馬が立ち上げた貿易会社が亀山社中でした。
取り扱っているものは武器でしたので、坂本龍馬は武器商人という事になります。
これは後、海援隊と呼ばれる組織の全身になるとされており、薩長同盟の為に大きな役割を果たし、1866年の第二次幕長戦争では長州の勝利に貢献したともされています。
しかしここでこの貿易会社を商社とよびましたが、商社とは何だろうと思われる方も多いと思われます。
そちらについての説明としては、当時の日本には新たな時代に向かうために必要なものがあまりにもない状態であった為、坂本龍馬は海外から輸入する事を考えます。
そこで、海外と取引をする為に貿易会社を設立したのです。
そして商社というのはいる物を輸入して、逆に取引相手がいる物を輸出する会社なので龍馬の考えにはぴったりの会社だったのです。
商社で取り扱うものは様々であり、石油にガスに石炭に鉱石といった燃料や材料品はもちろん、様々な備品を取り扱う事となります。
同時に今でいうスーパーやコンビニなどの経営に、商品に関係する商売の支援などの協力も視野にあった元の思われます。
亀山中社から海援隊へ
亀山中社は船を使った輸送方法に重きを置いていました。
それは前身である神戸海軍操練所の影響が大きいとされています。
その証拠に亀山社中では海軍、航海術の習得にも努めていたとされています。
しかし、「いろは丸沈没」と呼ばれる海難事故がおき、亀山社中は解体し、海援隊へとその姿を変えていきます。
しかし、亀山中社も海援隊も本質は同じもので貿易会社兼政治組織といった立ち位置であった為、特に変わることもなく名前が改変されただけのような印象を受ける方も多いようです。
実際、坂本龍馬同様脱藩した浪人などを多く受け入れ、業務内容も「運輸・投機・開発・支援」などを掲げていた為、大して変化もなかったようです。
最後に
日本初の貿易会社を作り出し、時代の変化の波を作り出していった坂本龍馬。
激動の時代に彼はこの貿易会社とともに歩み、多くを変えていったからこそ、時代が変わった今なお多くの人に思われているのでしょう。