坂本龍馬が日露戦争でブームに

坂本龍馬というと、誰もが幕末の英雄としての彼を連想します。

彼が移り変わり来る新時代の為に走り回った機関そのものはそう長い訳でもなく、彼自身も若くして命を落としています。

しかし、何故か彼の没後にまるで彼が生きているかのようなブームの様なものが何度も起きているようです。

しかも、それは日露戦争に関係がある政治的な面でもあり、憧れや娯楽としてという訳でもなくです。

確かに、一流浪の身とは言え坂本龍馬は政治的にも大きな事を成しはしましたが、それでも彼の死後の話なのです。

それでは、なぜ坂本龍馬が死後、日露戦争にてブームを呼んだのかについてお話していきます。

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日露戦争にて知れ渡った坂本龍馬について

1867年に坂本龍馬は近江屋にて暗殺されなくなっているというのが世間にも知れ渡っている没日であるというのは事実です。

そして日露戦争で国が揺らぐ1904年。

まさかこの頃に再び坂本龍馬の名が世間に出てくることになったのでした。

これは時事新報、産経新聞に掲載された記事からしれた内容で、昭憲皇太后が葉山の御用邸滞在中に見た夢の内容が載っていたといいます。

その夢というのが驚きの坂本龍馬の出てくる夢だったのでした。

幾ら幕末の英雄とされていても、まだこの頃は知る人ぞ知る英雄といった認知であったはずの彼を後続の方々が夢に見たと聞くと何の事かと誰もが思うでしょう。

しかも夢の中で彼はなお名乗り「日露戦争においてこの国の海軍を守る覚悟がある」といったそうです。

後日話は宮内庁の側近のもとに行き坂本龍馬の写真を見せると、彼だと告げたといいます。

「本当にそんな事が?」と誰もが思うでしょう。

この事から無名のヒーローは全国に知れ渡ったとされていますが、同時に国威発揚の材料にされたのではないかともささやかれています。

何故、今更坂本龍馬?

どうして37年もたってから彼の名を出したのかと誰もが思うはずです。

しかしその名を出した大臣の田中光顕は土佐出身であり、彼を知っていたとされており、土佐を盛り返す為に再び坂本龍馬をヒーローとして祭り上げたかったのだと思われます。

その他の龍馬ブームについて

さて、こういった政治的なものも含めて坂本龍馬はここまでで何度もブームが起きているようです。

主には龍馬と共に歩んだ偉人がのちに語った場合や、舞台に書籍に漫画にと様々なものの題材であったりします。

しかし、いつの世でも彼はヒーローとして舞い戻ってきているというところを見ると、坂本龍馬は死してなお、人々を引き付ける存在であったと思われます。

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