幕末の英雄、坂本龍馬が動いたことによって江戸幕府が倒され大政奉還が起きるように事が進んだ結果、時代は大きく動きました。
この大義について坂本龍馬がとった行動そのものは間接的に江戸幕府を倒し、次の手に導くという形になりはしましたが、その働きは非常に重要なものとなりました。
しかし、何故坂本龍馬は時代を変えるにしろ江戸幕府を倒そうなどという考えに及んだのでしょうか?
それでは、坂本龍馬が江戸幕府を倒そうと思い立ったその考えについてお話していきます。
坂本龍馬とは?
まずはこの大義を成した坂本龍馬についてお話しておきます。
坂本龍馬は1835年に土佐の身分の低い武士の家の子供として生を受けます。
そもそも彼の家は商人の家故に裕福であり、結果武士の地位を買ったとされています。
幼年期はどこにでもいる気弱な少年であったとされていますが、剣術を始める事でその身も心も鍛え上げられていく事となったようです。
その後、1853年に江戸の千葉道場にてさらに剣術の腕を磨くべく修行に励むこととなりますが、江戸に来て間もなくに黒船事件に遭遇した事によりその運命は大きく変わる事となります。
坂本龍馬が何故江戸幕府を倒そうとしたのかについて
黒船事件に遭遇した龍馬は、国内で起きる争いが国力の低下を招いていることに危機を覚えたと言います。
その中心にあるであろう存在が江戸幕府であったと考えたのです。
このままでは日本が外国に飲み込まれてしまうかもしれないという危機感から彼は動き出します。
彼は日本を外国と対等に付き合っていける国にする為に何をすべきかと考えた時、この国内の争いのもとである制度を作り出す江戸幕府の存在に気が付いたのです。
そして、その江戸幕府を倒して、元の天皇政治に戻すことで国を新しい政府のもとに移そうと考えたのでした。
ここで江戸幕府こと、徳川家がその時代の流れを理解した行動をとった場合は別とされますが、結局古い体制を貫こうとしたその姿を目の当たりにしたため動いたと言えるでしょう。
坂本龍馬が江戸幕府を倒そうと思ったのはそういった時代の移り変わりで有効か否かを考えた結果だったのです。
坂本龍馬がとった方法とその結末
政治の中心である江戸幕府を倒すのがこの時必要と入っても、ただ1人の藩士でしかない彼にはそんな力はありません。
土佐藩にももちろん逆らうことは立場上でいないので、まず脱藩して、その後勝海舟に指示をすることで知識と人脈を広げていくことになります。
そうして様々な縁から亀山社中や海兵隊へと組織を作り、江戸幕府を倒すにふさわしい状況を薩長同盟が結ばれることで、得ていきます。
これにより無血革命が成される準備は出来ました。
しかし、この後に大政奉還放されますがその直後に新時代を目前としながら彼は暗殺されてしまうのでした。