幕末の英雄というと、坂本龍馬を始め多くの偉人の名が挙がっています。
しかも、その中には新選組のメンバーでもある近藤勇をはじめとした人物の名も多く上がっているのです。
まさに、幕末のロマンというにふさわしい顔ぶれではないでしょうか?
そんな英雄たち同士の誰と誰が懇意の中であったといった話題は数多く語られています。
中でもドラマなどでは坂本龍馬と近藤勇の絡みなどもみられ、フィクションとは言え面白いエピソードだとされていました。
しかしこの2人、そんなフィクションの身で描かれるだけの関係かと思いきや、どうも違っていたという説もあるようです。
それでは、坂本龍馬と近藤勇の意外な関係についてお話していきます。
実は接点のあった坂本龍馬と近藤勇
維新の為に走り回る一介の浪人、坂本龍馬。
京都の治安を守り、どちらかというと龍馬達を取り締まる側である新選組のメンバーである近藤勇。
どう考えても有効的な関係は見えないとされるこの2人ですが、どうやら接点があったのではないかという説があるようです。
坂本龍馬は故郷から一時期江戸の剣術道場へ修行に出ていたことがあり、この時黒船事件に遭遇して走り出しました。
ちなみに、銃を構える彼の印象が強いのでそうと見えないかもしれませんが坂本龍馬は北辰一刀流千葉道場にて免許皆伝を得るほどの腕前でもあります。
そして、近藤勇ですが彼は天然理心竜剣術の宗家4代目であり、同乗の運営をしていました。
メンバーはというと、あの「藤堂平助・山南敬介」といった北辰一刀流の流派の面々であり、彼らは坂本龍馬と同門です。
こうなると、かなりご近所だったように見え、試合などもあったなら顔を合わせていた可能性もあるのではないでしょうか?
坂本龍馬と近藤勇の意外な関係説について
作家三島由紀夫の父方の高祖父で、大政奉還の際、幕府側と朝廷側の交渉にも携わり大政奉還の成立に貢献したとされる人物が永井尚志です。
この人物に坂本龍馬と近藤勇は接点があり、近藤はこの永井の護衛をしていた時期があったそうです。
その永井は大政奉還に向け土佐藩の後藤象二郎に近藤勇を紹介したとされており、この時点で坂本龍馬と何らかの接点が出来ており交流関係を持っていたとしてもおかしくはないという説があるのです。
その他の説
その他にも坂本龍馬と近藤勇の交友関係についての記録はいくつか残っているとされ、中には実際に酒を一緒に飲んだといったようなものも見受けられるといいます。
この様に交友関係があったとするなら、一体どのような話をしたのかなどを考えてみるのも面白いかもしれません。