坂本龍馬と勝海舟の出会いとその関係について

幕末の英雄、坂本龍馬というと多くの日本初を成し、大政奉還へと向けて尽力した人物であるという話に目が向きます。

その為に坂本龍馬は亀山社中という日本初の株式会社も築くことになったのですから。

ですが、その亀山社中を立ち上げるまでに、坂本龍馬は何もせずにいきなりその道に足を踏み入れたわけではありません。

その始まりにはとある「師」と称する人物との出会いがありました。

その名も勝海舟です。

彼も幕末の歴史に多くにその名を遺す人物の1人です。

坂本龍馬は勝海舟に師事したからこそ亀山社中を築く事となったのです。

それでは、坂本龍馬と勝海舟の出会いと関係についてお話していきます。

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勝海舟とは?

1823年3月12日生まれの江戸末期から明治初期に活躍した武士であるのが、勝海舟という人物でした。

その後は政治家としての立場でふるまっており、位階勲爵位は正二位勲一等伯爵とされており、「幕末の三船」とも呼ばれる人物です。

生まれは旗本小普請組の勝小吉を父に持っています。

10代のころから剣術に禅などを学び直心影流剣術の免許皆伝となり16歳で家督を継いだとされます。

1845年から永井青崖に蘭学を学び赤坂田町に「氷解塾」という私塾を開いたとされます。

その後長崎海軍伝習所に入所し渡米したのち軍艦奉公並となった事で神戸海軍操練所を開設する事となります。

坂本龍馬と勝海舟の出会いについて

さて、このような大物と坂本龍馬の出会いというと誰もが気になるところです。

しかし、坂本龍馬がとった行動は藩主から紹介状を得ての面会が出会いのきっかけでした。

以外と普通な出会いだと思われますが、それはそのはずです。

相手は「軍艦奉公」という役職についたおおものです。

しかもなぜ龍馬が勝海舟に会いたがっていたかというと自分とは考えが違う彼を喫つもりであったというのです。

この話には真偽が疑われており、切るか否かは別としてとげのある一言でも送るつもりだったのかもしれません。

ですが、そんな龍馬の真意を勝海舟が見破り持論を説いた事から流れは変わります。

「勝海舟は日本第一の人物」と龍馬に思わしめ、弟子入りをする瞬間です。

これが坂本龍馬と勝海舟の出会いであったとされます。

坂本龍馬と勝海舟の関係について

先の事から2人の関係は師弟関係となります。

この師弟関係から坂本龍馬は航海術や海外での話を聞き、さらなる成長と考えを得る事となります。

この後、神戸海軍操練所がなくなり亀山社中を坂本龍馬は設立し、「大政奉還」の道を示し始めるのでした。

この2人の縁からくる関係がなければ、歴史は変わっていたかもしれません。

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