幕末の英雄、坂本龍馬と聞くと多くの英雄の名前が浮かぶと思われます。
そんな中でも誰もが気になるのが松下村塾ではないでしょうか?
この松下村塾とは、吉田松陰が教えを説いた場所という印象が非常に強くある様にみられます。
実際に、この松下村塾で吉田松陰の教えを乞うた幕末の偉人は数多く存在しています。
ただここで気になることの1つには、吉田松陰と坂本龍馬があった事があるのかという事ではないでしょうか?
ドラマなどでも幕末に活躍した姿を見せる子の歴史上の偉人方ですが、実際には何らかのかかわりがあったのでしょうか?
そして、坂本龍馬はどの程度松下村塾にかかわりがあったのでしょうか?
それでは、坂本龍馬と松下村塾についてお話していきます。
坂本龍馬と松下村塾(吉田松陰)について
そもそも、この松下村塾において、門人禄に坂本龍馬と吉田松陰の名前は確かにあるとされています。
ただし、この2人があって会話をしていたなどの記録はないとされているようです。
ですが、この2人の人物には共通点も見受けられました。
先に述べた門人禄の記録については若い時に吉田松陰が入門しており西洋砲術、兵学の師匠である佐久間象山の塾の門人録2人の名があったというつながりの様です。
吉田松陰が入門したのは寛永4年で、龍馬は寛永6年に象山の塾に入門となっています。
そのなかには勝海舟などの名もあるとされ、彼らは同じ師のもとで学んでいた事となります。
ただし、その時期は非常に離れており、直接的なかかわりはなく、むしろ関わったのは後に吉田松陰が教えを説いた弟子たちである高杉晋作らの方になります。
松下村塾とその門下について
吉田松陰が教えを説いたものの多くは後に幕末と新時代の立役者となる者達ばかりでした。
久坂玄瑞や高杉晋作、吉田稔麿といった重要ではありながら倒れた方もいましたし、伊藤博文のように生きて大義を果たしていた人もいました。
塾生名簿にはなくとも「吉田稔麿・入江九一・山県有朋・前原一誠・品川弥二郎・山田顕義・野村靖・飯田俊徳・渡辺蒿蔵(天野清三郎)・松浦松洞・増野徳民・有吉熊次郎」といった重要な役割を担った方々も多くいたようです。
その短い期間において総計90人前後の方々が教えを受けたとされています。
勿論、門下の方々にも表立ってなお残した方もいればそうならなかった方もいたとさえているようです。
最後に
直接的な関りこそなかったものの、やはり同じ師のもとで学んだがゆえに似たような影響を受けていたというところはあったようです。
この教えが、新たな時代を作り上げていったともされています。