坂本龍馬と神戸海軍操練所について

幕末の英雄の中でも、現在でも人気絶頂の坂本龍馬ですが、彼は日本初の株式会社を設立した人物でもあります。

それがのちには海援隊となる「亀山社中」でした。

業務内容としては船での貨物の輸送などを中心とした貿易業でしたが、時に海軍としてもその役割を担うとされていました。

そんな坂本龍馬の航海の第一歩となったのが「神戸海軍操練所」でした。

これは本来坂本龍馬が師事した勝海舟により設立されたものです。

そこで様々な事を坂本龍馬は学んでいき、亀山社中を設立したのでした。

それでは、坂本龍馬の始まりの場所でもある神戸海軍操練所についてお話していきます。

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勝海舟と坂本龍馬

神戸海軍操練所の話の前に、その生みの親である勝海舟と坂本龍馬についてお話します。

まず1862年10月に龍馬は千葉道場師範代である千葉重太郎と赤坂氷川の勝海舟の屋敷を訪れます。

実はこの時龍馬は勝海舟の暗殺を目論んでいたのだとか。

しかし、そんな彼を前に勝海舟がその事を言い当ててしまった事で、龍馬は驚き黙ってしまい、そのまま勝海舟は今の世についてと海軍の創設についてなどを語り始め、その話に感服した龍馬はそのまま弟子入りする事となります。

倒そうとしていた相手の意見をきちんと聞き、考えて良い方に向けて行動した龍馬のこの行動の方が驚きという声も多いようです。

神戸海軍操練所について

この神戸海軍操練所は1864年5月に勝海舟の提言で設立されたとされています。

勝海舟はこの時海軍訪欧であったとされます。

京都にも逢坂にも近い神戸に神戸海軍操練所を作る事で外国への備えと考えたのだそうです。

この時点で勝海舟はアメリカにも言ったこともあった為、海軍を持って開国する事が必要であるという考えがあったそうです。

しかし、この後1865年の幕命にてこの神戸海軍操練所の閉鎖が決まってしまいます。

あまりにも浪人を集めて運営していた事や、池田谷事件で海軍操練所の人間の参加があったなどから目を付けられたことも大きな原因とされています。

ですが、この事で多くの行き場のない浪人が出てしまい、その中に龍馬もいましたが、この事がきっかけで亀山社中を設立する事となったのでした。

神戸海軍操練所が出来るまでは仮住まいでの運営があった?

勝海舟の築いた神戸海軍操練所ですが、実は設立までには半年ほどの歳月がかかったとされています。

では一体どこで運営をしていたのかと思われるでしょう。

実は今はビジネス街である大阪市中央区本町堺隈、淡路町にあったそうです。

当時ここはお寺がありそこにいたようです。

お寺の名前は専称寺といい、坂本龍馬も来たことがあったとされていますが、現在は石碑などの目印なども残っていないとされています。

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