坂本龍馬と千葉道場について

幕末の英雄、坂本龍馬は多くの場で多くの事を学んでいたというのは誰もが知るところでしょう。

その結果が多くの知人や友人たちに囲まれ、後の行動にも影響を与えているのです。

そんな中、彼が1番最初に学ぶために関わったといわれるのが「千葉道場」ではないでしょうか?

坂本龍馬が江戸に出てくるきっかけとなったといっても過言ではない「千葉道場」ですが、そんな道場と彼。

または「千葉道場」に関わる人たちとはどのような人たちだったのでしょうか?

それでは、坂本龍馬と「千葉道場」についてお話していきます。

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千葉道場とは?

坂本龍馬が江戸へ出て剣術を学んだとされる「千葉道場」ですが、一体どのような場所だったのでしょうか?

そもそも「千葉道場」で習うとされた北辰一刀流は幕末江戸三大道場とも言われる千葉道場においても古流武道の流派とされています。

同情を創始したのは千葉周作であるとも言われています。

隣接する塾で儒学を学ぶものも多くいたため、幕末志士たちも排出しており、坂本龍馬も同様という事になります。

龍馬はここに1835年~1867年まで通い塾頭を務めたともされています。

その他にも多くのエピソードが残っていることでも、非常に有名とされています。

北辰一刀流とは?

千葉道場にて教えられている北辰一刀流ですが一体どんな流派だったのでしょうか?

北辰一刀流は千葉周作が創始とした北辰夢想流と一刀流を合わせたとされる古流武道であるとされており、等級は「初目録・中目録免許・大目録皆伝」の3段階となっていたようです。

この北辰一刀流の門下には清河八郎・山岡鉄舟・山南敬助といった顔ぶれがおり、坂本龍馬に関しては千葉定吉のもとでの修行であったとされています。

千葉道場にかかわる人々について

千葉道場に関わる人物は多くいるとされます。

例えば千葉定吉に関しては坂本龍馬修行を付けたとされています。

1812年~1879年まで生きたとされる人物で、北辰一刀流の開祖である千葉周作の弟であったとされその門下は坂本龍馬の他伊藤甲子太郎などもいたといわれます。

京橋桶町にも同情を開き「桶町千葉」とも呼ばれていたとされます。

剣術の腕は兄である周作に劣るものの優れており、度屋敷の剣術市販にもなっています。

坂本龍馬にかかわりがあるという事であれば、定吉の長男である千葉重太郎も同様でしょう。

彼に関しては龍馬とは友人関係の同門となっています。

父の教えを受けていた龍馬に引き続き修行を付けていたともされています。

この様に千葉道場とその創始一族に坂本龍馬の始まりともいえる時期は、切っても切れない縁があったのだと思われます。

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