幕末の英雄、坂本龍馬の成した功績屋になった役割は、近年特に注目を浴びています。
それに伴って、本人すら知っていたか分からないような話も多く出てきているようです。
そういった話題の中に、坂本龍馬の先祖が有名な戦国武将であったというものがあるようです。
それは一体誰の事なのでしょうか?
同時にその節の決め手とは何なのでしょうか?
それでは、坂本龍馬とその意外な先祖についてお話していきます。
坂本龍馬とは?
まず、坂本龍馬について紹介をしておきます。
彼は天保6年11月15日から慶応3年11月15日までを生きたとされる、江戸時代末期の土佐藩郷士とされています。
豪商であった本家からの分家ではあったものの、非常に裕福な家の末の子供として生を受けます。
その後、剣術の修行の為に来ていた江戸にて黒船事件に遭遇し、その頃から新時代について思いをはせ激動の時代を走り回る事となります。
その間で多くの日本初の出来事を成し、日本初の株式会社である亀山中社を設立し、新たな時代のために必要とされる長州藩と薩摩藩に薩長同盟を結ぶ為に奔走し、船中八策の中の大政奉還に向けて間接的ではありますが、尽力していく事となります。
大政奉還後すぐに近江屋にて同じ土佐藩出身で相棒といってもいい中岡慎太郎と共に京都にて暗殺され、33歳の人生を夢半ばで閉じたのでした。
その人柄はおおらかであり、筆まめであった事から真面目な部分もある人物とされ女性にも大層モテたとされています。
同時にその人柄は多くの人々をひきつけ結びつける人間力も備えていたとされます。
坂本龍馬の先祖について
さて、冒頭でも話題にした坂本龍馬の先祖についてですが、こちらは明確な記録等がない為、賛否両論といった扱いであるとされています。
そして、気になるご先祖様というのがあの明智光秀ではないのかという事なのです。
一体どこから飛んできたのかと思われるお話ではありますが、理由となる説のいくつかは坂本龍馬の卓越した先見の明などが明智光秀譲りであるとか、剣術の腕前もかなりのものであったのでその才能も先祖からのものといわれたりもしていましたが、時代が時代ですので嫁ぎ先や分家に妾腹といった事情から話が立ち上がったともされます。
明智家と坂本家について
さて、先祖や子孫とされるなら何かしらの共通点も上がるべきでしょう。
多くの場合で結われるのが家紋の話題です。
明智家も坂本家もその家紋は桔梗紋とされています。
他にも龍馬の立ち上げた日本初の株式会社の名は亀山社中であり、それは場所に応じた名前ともされますが、明智光秀が丹波攻略時の拠点とした城も亀山城であるとされています。
若干こじつけの様な説も多くありますが、もしそれが事実であったなら驚くべき運命であると思われます。