坂本龍馬の結婚式までとその現在の様子について

幕末の英雄、坂本龍馬といえば新時代を築くべく走り回った人物であるというのが一番印象に残る部分でしょう。

同時に新しいものに強く興味を持つなどの記述も多く、様々な日本初を作り上げてきた人物でもあります。

そんな坂本龍馬ですが、彼の成した日本初の中には新婚旅行なども含まれているのは多くの人の知るところです。

そして、新婚旅行というと坂本龍馬は妻お龍であるという事を思い出させてくれます。

そこで思うのは新婚旅行に行くという事はこの幕末の英雄も結婚式をしたという事です。

さぞ派手なものだったのではないかと想像するのも仕方がないことです。

それでは、坂本龍馬と妻お龍との結婚式についてお話していきます。

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坂本龍馬の妻、お龍との出会いについて

さて、まずは坂本龍馬とお龍の出会いからお話していきましょう。

当時坂本龍馬などの土佐藩の浪人などは河原屋五兵衛の隠居所を借りる形で住んでおり、ここにお龍が母親である貞と妹の君江と賄いとしていた事からの出会いであったとされています。

ちなみにこの時、坂本龍馬は中岡慎太郎や北添佶摩に望月亀弥太、池内蔵太といった顔ぶれと一緒に住んでいたとされています。

ただ、1864年の6月に新選組が行った浪士たちの襲撃をしたとされる1度目の池田谷事件が起きた為、居合わせた北添佶摩や望月亀弥太はなくなったとされています。

その時坂本龍馬は不在であった事で難を逃れたとされています。

坂本龍馬とお龍の結婚式について

先に述べた事の通り、坂本龍馬とお龍は出会います。

さてそれから付き合いを持ち、祝言を上げる事となります。

「祝言を上げる」とは現代で言う結婚式の事だと思ってください。

あの時代の最先端を行く坂本龍馬の結婚式なのだからさぞ盛大な式だったのではと思われるかもしれませんが、そんな事はありません。

1864年8月初旬に、坂本龍馬とお龍は内祝言という形で夫婦となったのです。

内祝言というと、今でいう身内だけ招いて行うような小さな祝いの席の様なものを想像してください。

場所は青蓮院の旧境内・塔頭金蔵寺です。

これはお龍の父親が青蓮院宮に仕えた医師であり、住職が仲介を務めた関係でしょう。

ただ正式には1866年1月に寺田屋遭難の後に西郷隆盛の媒酌で2人は夫婦の契りを結んだとも言われています。

坂本龍馬とお龍の結婚式の場所の現在について

さて、坂本龍馬とお龍の結婚式は思いの外、静かなものだったようですが、その場所は今も残って石碑が存在します。

場所は京都市東山区五軒町で、そこに石碑がひっそりと建っているのです。

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