幕末の英雄、坂本龍馬は土佐藩に生を受けました。
革命家の誕生です。
今知られる彼を想えば誰もが、子供の頃からさぞ天才肌で優秀な少年の姿を思い浮かべるでしょう。
しかし、実際は今知られる坂本龍馬とは全く違う様子だったようです。
それは一体どんな少年だったのでしょうか?
それでは、坂本龍馬は子供の頃どんな子供だったかについてお話していきます。
坂本龍馬のおい立ちについて
まずは坂本龍馬のおい立ちからお話していきましょう。
彼は1835年に父・坂本八平とその妻である母・幸の間に次男として、兄弟の末の子供として生を受けました。
そして彼の家は、曾祖父の代の時に豪商坂本家の本家から分家し、その後郷士となたったとされる裕福な家であったとされます。
彼は先に述べた通り、坂本家の5人兄弟の末の子供で、上には兄である権平。
姉の千鶴と栄と乙女がいました。
この乙女が坂本龍馬を鍛え上げたとされる3つ違いの姉に当たります。
今後の人生において、筆まめであるとされた龍馬の手紙を1番受け取ることになるのも彼女です。
子供の頃の坂本龍馬について
坂本家の末の子供である龍馬の子供の頃はどんな風だったのか?
誰もが考えるはずです。
時代の風雲児、坂本龍馬ですからそれはそれは天才的な子供かとも思われるかもしれませんが、彼の子供の頃の行動は、我々の知る彼とはずいぶん違っていたようです。
まず、子供の頃の彼は随分な泣き虫で意気地もなく、周りにもバカにされたりからかわれていたりするような子供だったようです。
何時も鼻水をたらして、いくつになってもおねしょ癖も治らずからかわれ泣いていたようです。
塾で学ぶために12歳くらいから通い始めたものの、その出来は非常に悪く、あまりの物覚えの悪さに塾の先生から「もう来なくてもいい」とまで言われてしまうほどだったそうです。
しかも、そんな塾帰りに周りの子供達に待ち伏せなどをされていじめられては、泣きながら家へ帰るという日々だったそうです。
そんな子供達が怖くなり回り道をすることもあったと言います。
そんな頃に彼の母が亡くなり悲しみと寂しさに打ちひしがれていた彼は、母の代わりのごとく立つ姉の乙女に厳しくも優しく導かれ育つ事となります。
結果、14歳くらいから剣術に馬術といったことを習い、次第に強く成長していくのでした。
泣き虫でも、既に逸脱した少年
14歳から剣術を習い始めた龍馬は今までが嘘の様にどんどん強く、そして上達していきます。
そんな頃のエピソードとして目を引くのが、習い事の1つである水泳の練習の日に大雨が降り、他の子供は練習を休んだそうですが、龍馬は傘を手に出かけたと言います。
知り合いがそんな彼を見つけて何をしているの片付寝ると「どうせ水に入れば変わらない」といった事を言ってきたというのです。
この考え方はこの先の世を作る彼を垣間見るものとなったのではないでしょうか?
そして、こういった考えの彼だからこそ、新時代の礎足るものに関わり続ける事になったのだと思われます。