幕末のヒーローといわれる坂本龍馬は貿易会社を作っていたとされ、それを聞くととてもリッチな雰囲気を想像される方もいらっしゃるかもしれません。
ですが、時代は身分制度の厳しい世の中。
そして、坂本龍馬の身分はといいますと、実家は裕福とはいえ浪人という立場だったとされます。
響きからしても正規の雇用がなされているようには見えないという方もいるのではないでしょうか?
それでは、坂本龍馬とその浪人についてお話していきます。
浪人とは?
そもそも浪人とはいったいどういった身分だったのでしょうか?
まず、幕末までの侍とはどこかしらの藩、すなわちお殿様のもとに属している(雇用されている)ものであり、それ以外をまとめて浪人としていました。
武士の家に生まれた場合は仕事も武士になります。
ですが、その藩から脱藩(縁を切って辞める)などをした場合を浪人として扱われますが、坂本龍馬の場合はそのまま会社を立ち上げたりしていたようです。
坂本龍馬達浪人の生活について
さて、浪人となったということは、所属している今でいう会社である藩から通常貰うことが出来るはずのお給料がありません。
一体どういった生活を送っていたのでしょうか?
坂本龍馬というとヒーローのイメージが強いことと、自身が会社を興したことで違うのですがこの場合は京都などの都などで「強請、たかり、窃盗、強盗」などを働くものも多くいたようです。
それこそ「脱藩浪士」という名の悪人のような状態になる人もいたようです。
勿論中には、脱藩した事になった状態で本来の藩の密命を受けて潜伏している浪人もいたとされています。
ただ会社を興した坂本龍馬ですが、本来は裕福な家計の出ですから仕送りなども頼むことも出来たとされ、勝海舟に出会った後は公儀の海軍塾や後に薩摩の世話などもしていたので収入もあり、その出会いまでも短い間だったので通常の浪人とは違うようです。
後ろ盾もないに等しい浪人のみで何故坂本龍馬が声をあげることが出来たのか?
本来ただの浪人が声をあげ、それこそ国の行く末を変えるべく当時の国のトップなどに合うことが出来たかといわれると無理だったと思われます。
ならばどうして坂本龍馬はそれが出来たのかといいますと、彼の師「勝海舟」の力があったからです。
御家人のでではあっても勝海舟の昇進はすさまじく上級官僚となっています。
その弟子であった坂本龍馬はいわば勝海舟の名代を務めてる外交官といった立ち位置であったがゆえに、あの活躍となったとされています。