幕末の英雄、坂本龍馬といえば生まれは土佐で、京都や長崎を走り回っていたという印象が強い歴史上の偉人とされています。
ですが、そのゆかりの地に関しては日本縦断したのではないかというほどにあちこちにあるように思えます。
その中で、何故だかやはりゆかりの地が多いのが現在の東京で当時の江戸である事に不思議さを感じる方もいらっしゃるのではないでしょうか?
それこそ、坂本龍馬の東京ゆかりの地というツアーが出来るほどに多いのです。
一体なぜでしょうか?
それでは、坂本龍馬と東京ゆかりの地についてお話していきます。
坂本龍馬と東京について
さて、坂本龍馬と東京(江戸)についてですが、彼は3度東京(江戸)に来ているとされています。
1度目は1853年の当時19代の頃に剣術の修行として千葉道場入門の為訪れており、この時に黒船事件に遭遇します。
次に2度目は22歳から2年間、再び千葉道場に来ており、3度目が脱藩後に訪れ、この時に勝海舟と出会い、彼を師事する事となります。
こうしてみると、東京に来てから龍馬の運命は動き出し、来るたびにその岐路に立ち変化しているように思えます。
坂本龍馬の東京ゆかりの地について
では、東京に手運命が始まったとされる龍馬ですが、東京ゆかりの地としてはどのような場所があるのでしょうか?
まず有名なのは港区赤坂です。個々には勝海舟と龍馬の師弟像があります。
この場所はかつての勝海舟の旧邸宅跡地とされています。
その次とされるのは、龍馬がいなければ建設されなかったかもしれないとされる千代田区の東京復活大聖堂です。
ニコライ堂とも呼ばれており、坂本龍馬の従兄弟である山本琢磨が建設に力を貸したとされています。
次に紹介するのは品川区の浜川砲台跡です。
龍馬が滞在していたのが20歳の頃であったとされ、その頃の姿とされる龍馬像が建っています。
そして、始めて龍馬が江戸の地を踏んだ目的といっていい場所である千葉定吉道場後が中央区にあります。
まさに龍馬始まりのきっかけといってい場所でしょう。
最後に港青山には坂本龍馬の初恋の人である平井加尾の墓があるとされています。
結局結ばれることはなありませんでしたが、日本初を多くなしてきた、龍馬にとっての初めての1つなのではないでしょうか?
東京ゆかりの地、昔と今
龍馬の東京ゆかりの地を紹介してきましたが、他にもあるゆかりの地は現在どうなっているのかも紹介していきます。
例えば土佐藩上屋敷跡は現在は東京国際フォーラム付近とされており、かつては石碑がありましたが今はなくなっています。
土佐藩中屋敷跡は先ほどの東京国際フォーラムから徒歩10分ほどの場所で中央区役所のあたりとされています。
千葉定吉道場後に関しては2つ説があり、1つは玄武館から程近い日本橋堀留町1丁目付近とされ、もう1つは東京駅八重洲口の鍛冶橋交差点付近とされています。
他にも多くの地はありますが、この様にかつて龍馬が歩いた場所を昔と今とで照らし合わせて歩いてみるのも面白かもしれません。