坂本龍馬の誕生の地と最後の場所の今

幕末の英雄、坂本龍馬は誕生の地は土佐であり、最後の場所は京都であるという話は多くの方が知る事です。

その場所についても明白であるならば、多くのファンが訪れています。

勿論、誕生の地にしても最後の場所である近江屋での事件の内容についてもコアなファンの方ならず、誰もが知る話でしょう。

同時に誕生日についてはほかにも多くが語られているし、近江屋事件については多くの犯人像が出るなど話題に事欠かないとはまさにこの事といえます。

それでは、坂本龍馬と誕生の地と最後の場所についてお話していきます。

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坂本龍馬、誕生の地と誕生日についてのエピソード

坂本龍馬のみならず幕末の英雄ファンなら誰しも知る、龍馬誕生の地である記念碑ですが、場所は病院の敷地内となっています。

所在地としても高知市上町にあり、電車や無料サイクリングで辿り着けるのでやはり多くの人の人気の場所となっています。

そんな坂本龍馬の誕生エピソードで不思議なのが、彼の生まれた日が実は不明であるという点です。

世間では11月15日であるとされていますが、今の様に明白な記録が残る訳では無いという事で推測の域を出ていないのです。

故にその誕生日候補としても「10月15日・11月10日・11月15日」と知っているものも含むと複数あるようです。

坂本龍馬、最期の場所とその結末

坂本龍馬は誕生日と同じ日が命日となったとは、有名な話として知られています。

先程述べた通り正確な誕生日は不明ではありますが、年号の数え方からもさらにずれるとしても印象的な出来事となっています。

そして、坂本龍馬の最期の場所とは京都の河原町にあるとされる近衛屋であるとされています。

龍馬は中岡慎太郎と藤吉と呼ばれる下僕と共に近江屋にいたとされ、何者かに襲われ暗殺されたとされています。

この近江屋には龍馬が本来住んでいた酢屋に幕府が目を付けてきた為、移ってきたとされています。

同時に土佐藩邸の近くで、土佐藩の出入りしている店でもあったとされます。

ここでいくつかの説があり、藤吉をお使いに出したやお使いに出さずにおり案内した藤吉が切られたと様々な話があります。

その後、龍馬は前額部を切られ、その傷は脳に達しており即死であったともされますが交戦したという説もあります。

同行していた中岡慎太郎も後頭部を切られていたとされますが、応戦したとされます。

この後中岡慎太郎は数日生き事件の事を語り亡くなったとされます。

最後に

始まりと終わりの日が同じであるとされることも稀ですが、誕生の地と最後の場所を前に多くの人は何を思うのでしょうか?

今龍馬は多くの幕末の志士達と共に京都霊山護国にその墓があります。

ここにも、多くの人がその思いを忍ばせ訪れているのです。

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