幕末の英雄、坂本龍馬は多くの地を巡り、多くの地にゆかりの土地が存在します。
その中でも、坂本龍馬最期の地となったとされる京都に至っては、ゆかりの土地と呼ばれる場所も逸話などもはるかに多いとされています。
それこそ、激動の時代を走り出した江戸や長さ先と同じかそれ以上となります。
最終的に彼が最期を迎えるまでのほとんどを京都で過ごしていたからでもあるでしょう。
それでは、坂本龍馬の京都ゆかりの地についてお話していきます。
坂本龍馬の京都ゆかりの地
龍馬ゆかりの地とされる場所は多くありますが、まず外せないのは寺田屋跡ではないでしょうか?
伏見区にある、かつて旅館とされていた坂本龍馬の定宿がこの寺田屋です。
ここでは有名な寺田屋事件が起きています。
夜間、伏見奉公所の役人の襲撃を受ける龍馬ですが、後に妻となるお龍が異変を彼に知らせた事で負傷しつつも間一髪で脱出したとされるお話です。
同時にこの寺田屋では似たような事件が4年ほど前にも起きているとされており、浪人たちの多くが寄る宿でもあったとされます。
同じように龍馬を狙った事件というと坂本良馬が暗殺された近江屋事件がありますが、この近江屋は「坂本龍馬・中岡慎太郎遭難地」という石碑が建つだけで建物自体はなくなっているとされています。
龍馬達海援隊をかくまっていたとするならば「酢屋・坂本龍馬寓居跡」もあります。
こちらは坂本龍馬達海援隊の面々をかくまっていたとされる場所で、現代は木工芸品制作や販売を行っており、ギャラリーもあるとされます。
他にも坂本龍馬とお龍の結婚式城跡などが石碑で残っています。
場所としては青蓮院の塔頭・金蔵寺となっており、お龍の父の縁でこの地で内祝言を上げたとされています。
京都での坂本龍馬ゆかりの地について(現代)
坂本龍馬の生前には関係がなく死後ゆかりの土地とされる場所もいくつも存在します。
例えば京都霊山護国神社などがそうでしょう。
個々には坂本龍馬や中岡慎太郎に幕末の志士達の墓などがあるとされています。
坂本龍馬の横を歩いていた中岡慎太郎の墓は死した後も隣になるようです。
1970年に京都に専門の博物館として開館した霊山歴史館があります。
こりらには近江屋での品や龍馬の手紙に絵図などが展示されています。
最後に
この様に、京都には今もなお多くの坂本龍馬にまつわるゆかりの土地などが残っています。
100年以上たった今でもここまで愛される歴史上の偉人もいないと実感される方も多いはずです。
これを機に他の場所についても調べてみると面白いのではないでしょうか?