日本の新時代を築くべく、動乱の時代を走りその足掛かりを作り出した英雄、坂本龍馬の名は今もなお多くの人の記憶に色濃くあり続けています。
その目標とした無血革命の肝となっていた「大政奉還」を成す為に、彼は間接的に様々な方法で実現を目指します。
そして、彼は日本初の株式会社である亀山中社を設立し、その一歩を踏み出すことに成功するのです。
一浪人でしかなかったはずの彼が成した偉業と亀山社中の関わった歴史は実に重要なものであり、なくてはならなかったのです。
そんな坂本龍馬と亀山社中は一体どんな働きをして、どうなっていったのでしょうか?
それでは、坂本龍馬が設立した亀山社中の働きとその場所についてお話していきます。
坂本龍馬が設立した亀山社中とその場所とは?
1865年に坂本龍馬は日本初の株式会社である亀山中社を設立します。
この亀山社中は貿易会社という面と海軍としての役割を持つ政治組織でもありました。
何故貿易会社がそんな事をと思われるでしょうが、そもそもこの亀山社中のメンバーは坂本龍馬が師事してきた勝海舟の設立した神戸海軍操練所の面々が多くいるのです。
当初の目的としてはその面々がかえるところがない流浪の身である為の居場所ともされていましたが、海外に目を向けていた坂本龍馬の想いとも相成ったと四季とも言えます。
その場所は現代で言う長崎市伊予林(旧長崎村伊予林郷)であり、同じ場所に今も亀山社中跡地があるとされています。
そこで日本初の株式会社を作り、当初は行き場のない浪人の居場所であったというのも踊り器ですが、その組織が歴史を揺るがす事のきっかけとなるのでした。
亀山社中のした働きについて
亀山社中は本来武器に軍艦と言ったものや様々な備品を扱っていました。
それらを使い、ある藩同士の橋渡しとなったのです。
その藩とは薩摩藩と長州藩です。
当時、黒船事件に遭遇した龍馬は荒れて国力の低下した日本では外国相手に手も足も出ないと思い幕府を倒すことを考えたようです。
しかも同じことを使用としている藩もあり、それが薩摩藩でした。
しかし、龍馬が望むのは国力の低下の無い無血革命ですが、薩摩藩は武力革命を考えており、それをした場合は国力も低下するという事を考え、薩長同盟を結べるように両藩の間を立ちまわったのでした。
亀山社中から海援隊
そんなこんなで行動していた龍馬ですが、亀山社中の船が事故を起こしてしまい、権利やなどが1度人手に渡ったり保護されたりし、結局その名を海援隊に変えての再出発となりました。