幕末の英雄、坂本龍馬といえば土佐(高知)に生まれ、長崎を走り、京都で生き亡くなったとされる歴史上人気の高い偉人です。
その反省は激動の時代においては、活動年数から考えても決して長いとはいいがたいものの、成した役割についてはその後の時代の礎ともなる大義に影響を与えたといわれています。
無論、坂本龍馬のそんな激動の半生で関わった場所は先に述べた長崎や京都に生まれ故郷である高知にも多く、神社などにも関わりは多いとされています。
それでは、坂本龍馬の歩みで関わった、長崎に高知に京都、神社についてお話していきます。
坂本龍馬ゆかりの地に佇む(前編)
坂本龍馬といえば変化に富んだ土地にいるという印象ですが、まず紹介するとすれば高知市上町ではないでしょうか?
この高知市上町には、坂本龍馬が生まれた場所という事で「龍馬生誕碑」が建てられており、毎年その11月15日には「龍馬生誕祭」なるものが行われています。
同じ地には「高知市立龍馬の生まれたまち記念館」があり、その家族に育った町などの紹介などもあります。
その周辺の史跡巡りなどもあり、坂本家の人々の眠る葉かなどもあります。
坂本龍馬の故郷という事もあり、龍馬にゆかりある武市家の像にお墓などもあり、「瑞山神社」には記念碑もあります。
長崎市にも同じ様に龍馬ゆかりの場所は多くあります。
ですがそれはそのはず、この長崎においては坂本龍馬がその反省の始まりともいえる、日本最初の株式会社である「亀山社中」を設立した場でもあるのです。
当時の長崎は貿易以外にも様々な移り変わりがありました。
そんな長崎だからこそ、坂本龍馬は最初の一歩を踏み出す地としたのかもしれません。
ちなみに、この亀山社中については「跡」となっており、その復元などは「長崎亀山社中記念館」として展示が行われているようです。
坂本龍馬ゆかりの地に佇む(後編)
坂本龍馬の半生において大きな意味のある場所といえば、京都ではないでしょうか?
多くの事を成す為に奔走し、結果としてこの京都でその命を落とした坂本龍馬ですが、お墓も京都にあるのです。
京都においては寺田屋事件では間一髪で助かりますが、近江屋事件においてその命を落とすこととなりました。
その後、京都の「霊山護国神社」に彼のお墓は立てられました。
この「霊山護国神社」ですが、坂本龍馬の他に、隣に中岡慎太郎のお墓や当時護衛としていた山田藤吉のお墓。
海援隊や、幕末の志士たちのお墓もあるそうです。
最後に
幕末を走り周り、新しい時代の為に尽力して回った坂本龍馬。
彼が走った地には、彼の関わった場所や物があり今も人々を魅了し続けています。
それらをたどり当時の空気に触れてみるのもよいのかもしれません。