坂本龍馬が通ったという長崎の料亭とつけられた刀傷について

幕末の偉人、坂本龍馬というと切っても切り離せないのが長崎です。

それほどまでに日本の未来に多くを描いた坂本龍馬にとって重要かつなじみのあった土地とされている長崎ですが、拠点としても重要であったこの地にはそのゆかりの地が多く残されています。

例えば、実際に坂本龍馬が残し刀傷があるといわれているのが史跡料亭花月ではないでしょうか?

それでは、かつて坂本龍馬が通い、その際に刀傷をつけたといわれる長崎の料亭についてお話していきます。

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史跡料亭花月について

坂本龍馬が京都で通っていたとされる史跡料亭花月ですが、こちらは寛永19年(1642年)創立の遊女屋引田屋の庭園内に1818年頃に建てられた茶屋の名称とされています。

長崎県の史跡に指定されたのは1960年ごろで、全国的に見ても大変珍しい史跡料亭だといわれています。

当時は幕末から明治にと日本の原動力とされていた国際人の社交場ともされており、タイル張りの床や中国様式の窓など様々な様式が採用された建物であったとされています。

何故料亭に刀傷が?

この料亭には坂本龍馬がつけたとされる刀傷があるとされています。

行ったどうして料亭に刀傷がついているのかと誰もが思われるでしょう。

実はこの刀傷のある竜の間は大変広いお部屋であるとされているのですが、ここに通っていた坂本龍馬が、酒に寄った坂本龍馬がつけたものであるとされています。

お酒を飲んで酔った上に料亭に刀傷がつくと聞くと本当に今とは違う時代だったのだと思う方も多いようです。

史跡料亭花月で目を向けるべき事

この料亭には多くの事が起きたとされ、その意味合いも見どころも様々とされています。

先程も申し上げた通り、この料亭は坂本龍馬の行きつけでした。

いわば社交場と呼ばれる場所だったらしく坂本龍馬なら同士を連れえ来た事も当あったようです。

坂本龍馬に関係ある事なら、トラブルが起きてしまった時の同志をかばった坂本龍馬も手紙などが展示されています。

幕末の怒涛の中から外れた例を挙げると、頼山陽に向井去来といった多くの作家に詩人といった堅田方が大変多かったといわれています。

その他見るべきはその様式についてもあるようで、日本最古の洋間ともされる「春雨の間」もあります。

ちなみにこの料亭で坂本龍馬は同士をかばったとされています。

その事件とはイギリス人水夫の暗殺が起きたイカルス号事件で、疑われたのは海援隊のメンバーだったようですが、奉公所あての下書きを書いて無実を訴えたとされています。

この様に様々な場面の舞台となっていたようです。

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