坂本龍馬の考えた舩中八策とは?

「船中八策とは?」と幕末の歴史の中にたびたび出てくるこの疑問を抱く方は多いのではないでしょうか?

船中八策とは、幕末の英雄である坂本龍馬が掲げたとされる、新国家体制の基本方針であるとされるものの俗称であるとされています。

新時代を迎える為に奔走していた坂本龍馬がその為に起草したものですが、多くの場合は確かに「船中八策とは何の事だろう?」と思う方も多いようです。

勿論、政治の基本方針とされる内容ですから、本来ならばなじみもないようなもので、分からなくて当然と言ったものでもあります。

ですが、いくら亀山社中の創始者といっても一浪人であった坂本龍馬がそれだけのものを考え作り出していたというのはやはり驚きを隠せないと思われます。

それでは、坂本龍馬が作り出した船中八策とはどのようなものであったのかなどについてお話していきます。

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船中八策はどうしてできた?

船中八策とは何かというよりは、何時そんなものが出来たのかというのも気になるのではないでしょうか?

そんな会議の様なものがあったのだろうかとも考えてしまいがちですが、そんなものはなく、1867年のいろは丸沈没事件の解決後、山内容堂に大政奉還論進言の為帆船で出港した際、後藤象二郎に口頭でこれからの方針を提案していたものを海援隊士である長岡謙吉が書き留めて文章としたものが始まりといわれています。

これからの重大な事を口頭で述べ、それを周りが書き留めて作成したという事に驚きを隠せない所ですが、それが国を動かした事にもやはり坂本龍馬の特殊性が見える気がします。

船中八策とは作り話だったという説

この作成方法にも驚きですが、そもそもこの時書き留められたものが見つかっていないとされており、そんなものはなく作り話であったのではないかという事が近年ささやかれてもいます。

この背景には一介の浪人が作った案が藩を動かし新時代を作ったというのがあまりにも突拍子もなさすぎるというところからきているようです。

他にも、内容そのものも、他の偉人立ちの言葉を連ねたもので、坂本龍馬が作り出したわけではないという意見からも言われているようです。

船中八策本文について

ここまでお話した、「船中八策」ですが、その内容について下記に記したいと思います。

『一、天下ノ政権ヲ朝廷ニ奉還セシメ、政令宜シク朝廷ヨリ出ヅベキ事。

一、上下議政局ヲ設ケ、議員ヲ置キテ万機ヲ参賛セシメ、万機宜シク公議ニ決スベキ事。

一、有材ノ公卿諸侯及ビ天下ノ人材ヲ顧問ニ備ヘ官爵ヲ賜ヒ、宜シク従来有名無実ノ官ヲ除クベキ事。

一、外国ノ交際広ク公議ヲ採リ、新ニ至当ノ規約ヲ立ツベキ事。

一、古来ノ律令ヲ折衷シ、新ニ無窮ノ大典ヲ撰定スベキ事。

一、海軍宜シク拡張スベキ事。

一、御親兵ヲ置キ、帝都ヲ守衛セシムベキ事。

一、金銀物貨宜シク外国ト平均ノ法ヲ設クベキ事。

以上八策ハ方今天下ノ形勢ヲ察シ、之ヲ宇内万国ニ徴スルニ、之ヲ捨テ他ニ済時ノ急務アルナシ。苟モ此数策ヲ断行セバ、皇運ヲ挽回シ、国勢ヲ拡張シ、万国ト並行スルモ、亦敢テ難シトセズ。伏テ願クハ公明正大ノ道理ニ基キ、一大英断ヲ以テ天下ト更始一新セン。』

伝えられているのはこういったものであり、確かに龍馬が考えたのかもしれないと思える部分もあればそうでないような部分もあるという感じがしています。

何にしても、この事がきっかけで時代は動いたのだとすれば、やはり坂本龍馬の働きは重要だったと考えられているようです。

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