幕末の英雄、坂本龍馬は多くの日本初を成した人物でもあり、多くのかかわりを持った人物ともされています。
そして、そのせいか、日本人の偉人で最も銅像が多いとされてもいるのです。
それこそ日本の多くの場所、あちこちにあると言っても過言ではないそうです。
場所としては、坂本龍馬ゆかりとされる場所から立ち寄ったり、逸話のある場所。
中に入ったことの無い場所にまで坂本龍馬の像があるのだとか。
一体どうしてこんなに多くの像があるのかと驚く人も多いようです。
それでは、あらゆる場所にある坂本龍馬の像についてお話していきます。
何故坂本龍馬の像はあちこちにあるのか?
そもそも、龍馬は新時代を迎える為に多くの人々と関わっています。
勿論人でなくても場所なども多く関わっていることから、関わるべきとするものがある場所には足を運んでいるわけです。
そうすると、必然的にかかわった場所として、後天的にどんどん立っていくといった形になるようです。
結果、多くの場所にあらゆる種類の坂本龍馬の像が立って行ったのです。
坂本龍馬の像がある場所について
龍馬ゆかりの場所や、彼が成した事の記念として立つことの多い像ですが、その場所は様々なようです。
例えば京都府京都市の円山公園は桜の名所ともされますが、ここには坂本龍馬とその盟友と名高い中岡慎太郎の像が立っています。
この2人一緒の像であれば他にも京都霊山護国神社にも同様の像が立っています。
少し違うものという事であれば京都府の寺田屋近くには「龍馬とお龍、あいの旅路像」という、寺田屋事件から新婚旅行へ旅立つ事への記念像が立っているようです。
同じく寺田屋関連なら、当時の寺田屋の場所にある史跡庭園内にも龍馬の像が空を見上げているようです。
龍馬には関係ないのではないかと思われる場所にも実はその像はあります。
やはり京都府にある岬神社(土佐稲荷)に、龍馬自身が崇敬していたという理由により系内にもお決まりの立ち姿の像が立っています。
それ以外にも四国には龍馬誕生の地という事で多くの場所に像が立っているようですし、長崎にも多くの像があるとされています。
訪れていないのに存在する龍馬像
さて、ここまでは坂本龍馬が訪れた場所などが中心でしたが、実は龍馬が訪れていないはずの場所にも記念着として立つ龍馬像があるそうです。
一体どこにと思われそうですが、その場所は北海道です。
龍馬と北海道に関係など見いだせないという方は多いはずですが、坂本龍馬は新時代を迎えたのちに職を失うだろう武士の為に、北海道開拓を考えていたようです。
その結果、身内の方も北海道に移り住むという行動に出たとされています。
その中でも「北海道坂本龍馬記念館」にもその像は立っているのでした。