幕末の英雄、坂本龍馬は非常に筆まめであり多くの手紙を出したとされます。
確認されている手紙だけでもだけでも140通もに及ぶと言われるほどです。
しかも、その手紙の宛先にある名前のほとんどが「乙女」とあります。
女性の名前である事は間違いなく、誰なのかと思われる方はいないでしょう。
なぜならこの「乙女」とは、坂本龍馬の姉に当たる女性の名前だからです。
生涯で1番多く龍馬が手紙を出した相手はまさに彼女でしょう。
よほどに仲の良い姉弟だったのだろうと思われることでしょう。
それでは、坂本龍馬と姉・乙女に多く送られた手紙についてお話していきます。
名前を乙女という!(坂本龍馬の姉上について)
まずは、龍馬の姉上である乙女さんについてお話していきましょう。
坂本乙女というのは龍馬のすぐ上の姉であり、本名は「留(とめ)」で通常目にする「乙女」は当て字であったとされます。
そして、「乙女」という名前を聞いて想像するのは美人でやさしい女性を想わず想像するかもしれませんが、何が何が全く大違いで、身長は174cm前後で体重110kg以上という立派な体の持ち主とされています。
しかも、薙刀に剣術に馬に弓といった武芸に、琴に舞踊に和歌といった芸術方面など様々な才能を持つ最強の女性だったとされています。
その行動力にしても土佐での正月行事の乗初式に男装して参加するほどのバイタリティ溢れる女傑であったとされます。
これほどまでの大物に、幼年期から実家を出るまでの短い間とは言え、龍馬は育てられたのです。
結婚はしましたが離縁しており、その時に「独」という名前に改名しています。
しかし、乙女は1879年8月31日に48歳で病死したとされています。
ユーモアある坂本龍馬の手紙について
さて、乙女さんに手紙の多くを出していた事も有名ですが、龍馬の手紙については多くの人からは「ユーモアのある手紙の内容である」とされています。
身内には冗談などを言い、話し言葉をそのまま文章にした書き方であったとされ、内容も豊富という事で読み手を大層楽しませたことでしょう。
しかし、同時に大政奉還など政治関連のものでは策士としての顔を見せるような文章であったとされています。
坂本龍馬の姉・乙女への手紙について
さて、龍馬が乙女に送った手紙ですが、内容は先に述べたようにユーモアがあり冗談を交えた話し言葉のような文章であったとされています。
それこそ、少年らしいひょうきんな物言いなどがみられる「日本の洗濯」の手紙では「国の為に力を尽くす」という内容でくくられた手紙や、「エヘンの手紙」の様な落ちのある内容など様々とされます。
この様に、龍馬は生涯に渡り多くの苦楽を手紙に綴り、乙女はそれを見つめ続けていたのでした。