長崎の坂本龍馬ゆかりの地と出来事について

幕末の英雄、坂本龍馬は生涯最後まで様々なものや人に関わり続けました。

そのせいか彼は様々なゆかりある場所があると現代でも知られ、観光客の多くが訪れています。

特に出身地であると差と同じくらいに特別ゆかりの地とされている場所は、やはり坂本龍馬が新たな一歩を踏み出したとされる長崎ではないでしょうか?

それでは、坂本龍馬とゆかりのある土地、長崎についてお話していきます。

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坂本龍馬の初めての大きな一歩を踏み出した土地、長崎

坂本龍馬といえばその立場は脱藩した流浪であり、本来時代の大きな流れを左右する事など考えもしないはずの人であると当時の人には思われていたのでしょう。

しかし彼は、新時代の為に動くことを決めて生涯を走り続けました。

その第一歩が、後に日本初の株式会社とされる「亀山社中」を設立した事だったのではないでしょうか?

この「亀山社中」は後に海援隊となり、大政奉還という時代保革命的な事件に繋がっていく組織です。

この「亀山社中」が設立した場所が長崎でした。

今現在は記念碑が立ち、その裏手に亀山社中記念館がたっています。

その展示品には坂本龍馬が着ていた着物に姉・乙女宛の手紙に海援隊員の日記と言ったものがあり、まさに坂本龍馬床入りの地とされています。

その他にもある坂本龍馬の長崎ゆかりの地

観光地として多くの人が訪れる場所といえば、坂本龍馬の像が置かれた「風頭公園」や亀山社中跡から風頭公園までの道のりで見ることのできる「龍馬ぶーつ像」などがあります。

この像は実際に足も入るので試してみたいものです。

観光でも人気が高いのは「史跡料理定花月」があります。

多くの偉人たちが訪れ、坂本龍馬の付けた刀傷が大広間に残っていることで有名な現在も営業している史跡料亭です。

展示室などもあり、坂本龍馬に勝海舟といった偉人の書が展示されています。

坂本龍馬の宿泊先という事でゆかりのある場所

長崎に未来を見て舞い降りた坂本龍馬ですが、やはり故郷からいきなり出てきたので宿に泊まる必要があった事から同行していた勝海舟やその他の人々といくつも宿泊した場所があるとされています。

例えば勝海舟は1864年に幕府から派遣され、彼について龍馬は長崎へ来たのですが、その時の宿が1649年開創の福済寺があります。

1677年開創の聖福寺では1867年に「いろは事件」の談判が行われたといわれています。
その他現代で坂本龍馬の最も近くにある旅館として「矢太樓」があります。
この様に、坂本龍馬にゆかりのある場所は今なお多くの人が行き交っているのです。

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