1867年11月15日は何の日でしょうか?
この日は幕末の英雄として名を轟かせる、坂本龍馬の暗殺された日です。
新時代に向け、ようやく大政奉還となりこれからという時に彼は暗殺されるという形でその生涯を閉じてしまいます。
同時に一緒にいたはずの中岡慎太郎も刃に倒れ、生き残りはしたものの傷はいえることなく2日後に息を引き取りました。
しかし、この坂本龍馬暗殺事件とされている話ですが、実はそうではなかったという説も出てきているのです。
それでは、坂本龍馬は中岡慎太郎暗殺に巻き込まれてしまっただけだったのかについてお話していきます。
坂本龍馬暗殺事件とは?
歴史では先程述べた暗殺事件を坂本龍馬暗殺事件としています。
この事件は「近江屋」にて何者かに坂本龍馬と中岡慎太郎が襲撃されたとされる暗殺事件とされています。
その犯人は愚か、人数も、なぜ彼らが命を奪われることとなったかもいまだ分かっていません。
ゆえに黒幕説も多く存在しているのです。
坂本龍馬は中岡慎太郎暗殺に巻き添えとなっただけであった?
この暗殺事件はそもそも誰を狙ったものだったのかすら怪しいという部分が残されています。
そう考えると、狙われたのは坂本竜馬ではなく中岡慎太郎であり、本来は中岡慎太郎暗殺事件であったのではないかとされています。
それに巻き込まれたのが坂本龍馬であるという説がいくつか上がっているようです。
そんな中岡慎太郎暗殺の背景にはいったい何があったのでしょうか?
中岡慎太郎暗殺について
この暗殺事件については多くの説があるとされていますが、そもそも坂本龍馬は当時は無名の浪人でした。
その名が有名になったのはそれからずいぶん後の事になります。
故に彼が走り回って辿り着いた薩長同盟を実は中岡慎太郎がなした事だったのではないかと考える者もいたのではないかという説です。
しかも、近江屋は隠れ家とされており、坂本龍馬は居座っていたとされ当の中岡慎太郎はあちこちで歩き様々な方面へ働きかけなどをしていました。
この事から重要性を彼においたことで起きた暗殺事件であり、坂本龍馬は巻き込まれただけだったとされる説があるのです。
しかし、この事件で中岡慎太郎は生き残り2日後に亡くなります。
その傷は30カ所あまりといわれています。
坂本龍馬に至っては頭部を切られた事での落命とされています。
激動の時代を新時代に向けて走り回った彼らは、目指した新時代を目の前にその命を暗殺という形で失い、真実は未だ闇の中にあるのでした。