どんな物事にも「初めて」といわれるものはあります。
特に、閉鎖的であった鎖国中の日本であれば開国された当初から明治時代になってからというもの、そういうことだらけで、まさに日本初のオンパレードであったのではないでしょうか?
というのもこの激動の時代は、幕末の英雄と名高い坂本龍馬が走り回ったとされているからです。
しかも、坂本龍馬は貿易会社まで立ち上げていた為、海外からの情報も物も他より多く入ってくると言う立場にありました。
海外で普通の事でも日本では珍しい、まさに日本初だらけだったのではないでしょうか?
それでは、坂本龍馬が関わった日本初についてお話していきます。
日本初の株式会社について
坂本龍馬が生涯に渡って行ったことの中で、1番の大きな事は日本初の株式会社である「亀山社中」を設立した事ではないでしょうか?
坂本龍馬は黒船事件から新たなる時代の必要性を感じて奔走を始めます。
そこから勝海舟に関わり、神戸海軍操練所で学び、その閉鎖後は同志たちと共に生活の糧を得る為。
そして、新時代に必要なかかわりや物資の調達の為に「亀山社中」を設立していったとされています。
同時にこれからの時代に必要な操舵技術を定着させ、尚且つ扱う品物がらみで政治的な局面でも対策を立てるという試みをしていったのでした。
その結果、彼は大政奉還という時代の移り変わるべき場につながるように走り続けたのでした。
坂本龍馬行った日本初について
さて、ここまでは彼の行った大義。
大きな歴史の中の出来事でしたが、よくよく調べてみれば、別に日常生活の中にも彼が「日本初」とされた事は非常に多く残っています。
例えば、所説はあるものの、坂本龍馬が妻おりょうと共に結婚後に行った日本初の新婚旅行がアまず挙げられます。
勿論、それらしいものは彼ら以前にしたとされてはいるようですが、記録が残っていてという話になると、彼らが一番古いようです。
他にも笑ってしまうような話は、像が残っていることでも分かるかもしれませんが、坂本龍馬が日本初でブーツをはいたとされています。
同時に、ブーツを始めてはいたはいいが日本で初めて水虫になったという話題もあるといわれています。
最後に
新時代を目指した坂本龍馬ですが、彼は何事にも何もしないという選択肢をする前に飛び込んでいくといった人だったようです。
そこには先入観もなく、初めての事に足を踏み入れて、それから考えるという風だったといわれています。
一見出たとこ勝負で無計画のようにも思えますが、逆にその場その場での臨機応変さや、判断力、柔軟性に秀でていたのかもしれません。