長崎における坂本龍馬の歴史?そのゆかりの場所とはについて

「幕末の志士」や新たなる時代を彷彿とさせる歴史的な場所や人物を思い浮かべた場合、やはり筆頭といえるのは坂本龍馬や長崎であるとする方は多いのではないでしょうか?

この時代はとにかくありとあらゆる場所も人も物も、それこそ様々なものが動いたとされています。

その動きに身を任せ、歴史の起点に立ったと思われる人物が坂本龍馬だったのではないでしょうか?

では、そんな坂本龍馬の始まりの地である長崎における歴史的ゆかりある場所についてお話していきましょう。

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坂本龍馬の始まりと、歴史の始まりの場所長崎

まず、坂本龍馬は土佐藩出身の下級武士であり、脱藩してるろうになったのちに江戸に流れ着き、勝海舟の門人となります。

祖っこで航海術の習得をして神戸海軍塾の塾頭となり「元治元年(1864)」に勝海舟に同行し長崎に足を踏み入れました。

長崎はこの時代唯一世界に開かれた場所であり、外国の様々な情報や文化が飛び交っていたようです。

そして、この長崎で坂本龍馬は彼の歴史の一歩となる、日本初の貿易会社である「亀山社中」を立ち上げる事となるのです。

亀山社中の歩み

慶応元年(1865)に勝海舟に西郷隆盛といった面々の協力を得、薩摩藩の援助にて「亀山社中」を結成し、英国商人であるグラバーとの貿易が始まります。

利益は交易の仲介に物資の運搬などが中心だったようです。

同時にこの「亀山社中」は政治的かつ軍事的な組織でもあったといわれています。

ですがこの歩みはやがて英国留学の企ての露見からの自刃や船の遭難による遭難者12人の死といった問題が起き、慶応3年(1867)に土佐に引き継がれて「海援隊」へと変わっていき、武器に船舶購入が活動の中心になっていきました。

その後、近江屋で起きた坂本龍馬暗殺が起き、求心力がなくなったため、慶応4年(1868)には解散となるのでした。

長崎において坂本龍馬とゆかりのある場所

やはり長崎で坂本龍馬というと「亀山社中跡」であり亀山社中記念館でしょう。

隠し部屋なども公開されさらに歴史の世界へ踏み入ることも出来ます。

勿論記念館の前にはお土産屋もあり、その付近からは「三菱造船所・出島・海軍伝習所跡・福済寺・聖福寺・長崎奉公所跡・長崎街道入り口」までを見ることのできる景色の良さとされます。

福済寺は幕府から勝海舟がは派遣された際に初めて坂本龍馬が長崎を訪れた際の宿泊した場所といわれています。

聖福寺では土佐藩参政・後藤象二郎と紀州藩勘定奉公・茂田一次郎達が「いろは丸事件」の談判を行った場としても有名です。

その他にも出島にグラバー園など、長崎は龍馬ゆかりの地としてもかかわりの深い地だったようです。

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