長崎で開かれた、坂本龍馬による日本初の会社とは?

何処にでも「初」と呼ばれる出来事はあるものです。

かくいうこの日本のにもその歴史の切り替え地点というべき時期にそれは存在しました。

新たな日本を作ろうと、幕末を走り回った坂本龍馬の立ち上げた、日本初の会社です。

坂本龍馬というと、数々の日本初というべき出来事を成し遂げた歴史的偉人であるあの坂本龍馬です。

それでは、坂本龍馬が長崎で開いた日本初の会社についてお話していきましょう。

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長崎で立ち上がる日本初の会社「亀山社中」

物事にはいつでも初めてであるとされる出来事とは存在するもので、坂本龍馬の立ち上げた「亀山社中」に関しては間違いなく日本初の会社といわれています。

その「亀山社中」とは1865年に長崎に立ち上げられた日本初の会社で、その業務内容は貿易会社として、海運業を営みつつ、必要とあらば海軍として動くことを考えて作られた政治・軍事組織とされています。

設立者は時代の風雲児とされ、元海軍操練所塾頭であった坂本龍馬です。

当初からのメンバーも元海軍操練所の練習生だったとされています。

ですから全員が船舶の操縦技術を学んでおり後悔することが出来たそうです。

薩摩藩の援助を得て長崎の現在長崎市伊予林地区である亀山に手結成された後、グラバー紹介と銃器の取引を行い重機を卸したり、物資の搬送や航海訓練なども行われており、下関回線にも従軍したそうです。

後にいろは丸沈没事件を機に、「海援隊」と名を変える事となります。

坂本龍馬が立ち上げた亀山社中の後の姿「海援隊」につて

坂本龍馬が長崎で立ち上げた日本初の会社である亀山社中がいろは丸沈没事件や様々な理由から改称されたのが「海援隊」です。

江戸時代後半の幕末、土佐藩脱藩をした坂本龍馬が先に述べた経緯の後、結成した貿易結社とされているのが「海援隊」であり、1865年~1868年の3年あまりで私設海軍や貿易会社として活動していました。

この時点でも薩摩藩に資金援助をされており、日本初の株式会社であったとされています。

中岡慎太郎が隊長を務めた陸援隊と併せ小天体とも呼ばれていることは有名であるとされています。

仕事内容に関しては亀山庁舎の者を引き継いでおり、武器に軍艦といった兵器などを薩摩藩名義にして長州へ斡旋し、当時険悪とされていた薩摩と長州の関係を修復する為に仲介をしていたとされます。

この事から、薩長同盟の締結に大いに貢献したとされます。

日本初の会社のその後

その後、坂本龍馬が近江屋で中岡慎太郎とともに暗殺され求心力を失い分裂してしまうなどの様々なことが起き判明により解散する事となります。

ですが、後藤象二郎によってこの海援隊は土佐商会となり、岩崎弥太郎が九十九商会、三菱商会、郵便汽船三菱会社(日本郵船株式会社)、三菱商事へと発展させたのでした。

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