幕末の英雄、坂本龍馬といえば多くの友人知人と縁をつなぎ、新時代を築くべく走り回ったとされて知られています。
その出会いの多さは何かに導かれたかのように次の段階や、後の展開に必要なものばかりだったように思われます。
そんな中でも何人かいる幕末の英雄、高杉晋作とのエピソードは様々な逸話やシーンが話題となりファンも多いとされています。
ドラマなどを見ると仲の良い、それこそ親友の様な立ち位置で書かれる坂本龍馬と高杉晋作ですが、一部ではそれはドラマだからだろうという意見も多く出ています。
それでは、幕末の時代に出会い歩んだ坂本龍馬と高杉晋作とその仲についてお話していきます。
坂本龍馬と高杉晋作の立場とは?
坂本龍馬同様、高杉晋作も幕末においては英雄と呼ばれる人物の1人とされています。
ここではまず、2人の立場から紹介いたします。
高杉晋作は長州藩出身の二百石取りの中級家臣の家に生まれであり、地位としては上の方とされています。
そして、坂本龍馬ですが、こちらは郷士株を買い下級武士となった土佐藩の消化の家に生まれています。
この事から、本来それまでの世の中であれば出会う事もかかわる事もないはずだったとされる2人ですが、動乱の時代に移り変わった事から、薩長同盟の流れの中で新時代の為に出会うことになったようです。
実際に坂本龍馬と高杉晋作は出会い語っていたのか?
一説では坂本龍馬と高杉晋作は出会いもしていないとされているようですが、実は合っているようです。
その出会いとしては1865年12月に下関で会談する事になります。
ユニオン号問題に薩長同盟といった大きな問題について話し合いを持っていたといわれています。
翌年の1月に薩長同盟は締結し、京都に向かう龍馬に漢詩などを認めた扇を送るなど、その仲も悪いどころか非常に良い様子が語られています。
しかも、この時にあの上海土産であるスミス&ウエッソン社製。第Ⅱ型アーミー・32口径6連式ピストルを送るなど、かなりの友情を持っていることからも仲の良さが垣間見えます。
その他にも6月16日には、今度は龍馬が高杉晋作を訪ねて再開し、酒を飲むなどかなり仲がいい様子が知られています。
坂本龍馬と高杉晋作のエピソードとは?
ここまで2人の英雄の中がよいという事をお話してきましたが、先程のピストルの剣にしても残されたエピソードとしては、当時龍馬に贈られたピストルそのものはかなり貴重なもとのされていました。
そう、量産性が低く護身用とされる拳銃は貴重なものだったのです。
そんなものをサッと渡し、身を守るよう勧めるほど、彼らの友情は深いものだったのではないかと思われます。