内容に「新国家」の文字があった坂本龍馬の手紙について

幕末の英雄、坂本龍馬は日本の未来を黒船事件目撃より思い走り回りました。

そんな彼は、一浪人という立場からは考えられないほどの人脈と自由な考えにその人柄で多くの人々に影響を与え、間接的ではあるものの「大政奉還」への道へ貢献したのでした。

彼が見た未来の中には、筆まめである彼の手紙の内容に「新国家」という文字を見たという話が上がっています。

同時に浮かび上がる謎はあの時代に「新国家」。

はたまた「国家」という概念があったのだろうかという事を現代、多くの学者方が疑問視されているという事態です。

坂本龍馬は確かに多くの日本初というべきことに関わり、多くの手紙を残しているようですが、確かに気になる内容ではあります。

それでは、坂本龍馬の手紙の内容に「新国家」という言葉があったことについてお話していきます。

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坂本龍馬の手紙の内容に「新国家」の文字が?

坂本龍馬は1867年11月15日に暗殺されたとされていますが、その5日前にある手紙をしたためていた事が分かっています。

それは高知県が発表したものであり、越前藩重臣宛絵の手紙で新政府設立にかかわる内容であるとされています。

この中に「新国家」という言葉を使った説明などがあったとされているようです。

筆跡や内容なども坂本龍馬で間違いないとされるこの手紙は縦16cm・横92cmのもので、日付から暗殺の5日前とされます。

著名も「龍馬」摂る事や新政府の人事関連に関する事が記されていたとされます。

解読が必要な手紙について

先程述べた話を聞くとやはり坂本龍馬かという気もするのですが、問題は解読が必要な筆跡の手紙であるという事です。

この手紙が本物か否かはインターネット上でも騒ぎになっていますが、疑うはその手紙は浦東に坂本老間が書いたものなのかについてです。

何せ、坂本龍馬の今までの手紙から見る筆跡は回転がリズムよくありよどみのない文字であるとされているにもかかわらず、「新国家」の文字のある手紙につづられる文字にはそれとは違うものだとされた事からです。

それでも県側は「筆跡・内容共に疑わしい点は全くない」としているようです。

要するに、達筆すぎて良く分からなくなっている状態もあるようです。

そもそも「新国家」の意味は今とは違った?

しかし、あの幕末の時代までにも日本には多くの言葉が(今も増え続ける勢いは衰えず)存在します。

ここでひとつ思われるのが、坂本龍馬の手紙の「新国家」とは今でいる新たな国家という意味であったのかという疑問があります。

この「国家」という単語は既に日本にあったという話もあり、その場合は少し意味合いが違う様なのです。

この場合「国家」は読み方は「こっか」ではなく「くにけ」であったのではないかという話が一部ではささやかれているのです。

この「くにけ」で読まれていた場合は「地方から出てきた武家・国衆・国武士」のいみがあるのです。

この場合は、果たして坂本龍馬がどちらの意味合いから「新国家」としたのかという考えも浮かんできそうな内容となり、さらに議論も盛り上がるのではないかと思われます。

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