坂本龍馬からのラブレターがあった事について

幕末の英雄、坂本龍馬といえば多くの人とのかかわりを持つがゆえに、多くの書簡が残されていることで有名です。

暗殺の5日前に大政奉還に関する内容の書簡をしたためたり、姉であるお供にも近況報告から何から何まで、多くの手紙をしたためていた事から、かなり筆まめであったとされています。

その中には実は妻・おりょうへのラブレターまでもがあったのだとか。

それでは、筆まめな坂本龍馬の手紙と、ラブレターについてお話していきます。

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坂本龍馬が出したラブレターとは?

坂本龍馬は誰もが知るほどの筆まめな人物でおありました。

そんな彼が、妻であるおりょうに手紙を出していないという事はまずないと誰もが思われることでしょう。

それこそ、ラブレターの束くらいはあるのではないかと思われるのではないでしょうか?

実際に坂本龍馬からおりょう宛の手紙というのはあったとされています。

ただし、それはラブレターというのとは少し違うものであったとされていますが、その手紙はとても長いのです。

内容としては、その日までにあった事などの菌場報告をする旨のものであったとされており、日付としては1867年5月28日で、いろは事件での交渉と龍馬に有利に事が展開しているという内容であったようです。

妻とは言えこんな重要な事まで手紙に書いてしまうところを見ると、よほどおりょうを信頼していたともとれる内容とも思われています。

坂本龍馬が出した手紙について

さて、筆まめな坂本龍馬は多くの手紙を姉である坂本乙女に送っていたようです。

その内容は近況報告はもちろんの事、妻・おりょうの事を「まことにおもしろき女」と称して書き記しているなど、様々な話題があったようです。

何よりその手紙は残っているもののみでも130通とされており、内容も人間関係に金品の貸し借りであるなど随分と細かな内容となっており、それだけの事を記すだけあり、3メートル近い領分の手紙も存在するのです。

坂本龍馬の出した手紙はユーモアに満ちていた

坂本龍馬の筆まめさはかなりの物であると先ほども述べましたがその内容もユーモアに満ちていた様です。

たとえば、手紙の中で用いていた文字も感じにひらがなのみならず、カタカナまでを多用しての土佐弁であり、しかも話し言葉で会話でもしているかのような文章であったとされています。

有名な話なら、勝海舟についての手紙で「大先生のような大人物に認められて『どんなもんだ』と少し『エヘン顔』になっていますが、まわりにはバレないようにしています」など、実際に話をするような文章も多かったと言われています。

このユーモラスな面が多くの人を引き付けたのかもしれません。

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