坂本龍馬と亀山社中と長崎の関係について

幕末の英雄といえば、多くの人に知られている坂本龍馬などが非常に有名です。

黒船事件から日本の未来の為に奔走し、時代の第一歩となる風を起こさせ、その一番最初の初めの一歩となったのは「亀山社中」でした。

そう、長崎に未来を感じて訪れたであろう坂本龍馬が日本で初めて作ったとされる株式会社です。

勿論長崎にはその他にも龍馬に関係のあるものが多く残されているようです。

それでは、亀山社中に長崎と坂本龍馬の関係についてお話していきます。

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坂本龍馬が長崎で設立した日本初の株式会社「亀山社中」

さて、坂本龍馬の生涯で、その人生で成した大政奉還に向けて走った彼に最も関係が深いとされるものは何かと考えた時、すべての始まりである「亀山社中」が多くの人の頭に浮かび上がるでしょう。

そもそも「亀山社中」とは何なのかと思われるかもしれませんが、先程から述べている通り、坂本龍馬が設立した、日本初の株式会社の事を言います。

浪士結社や貿易結社に商社と様々な呼ばれ方や認識をされ、後の世では海援隊となる組織です。

この「亀山社中」と坂本龍馬の関係性としましては、神戸海軍操練所の解体から薩摩藩に援助をしてもらい1865年の夏ごろに長崎の亀山に結成したとされています。

取り扱っているものは今後も長く関係を持っていく外国の商会であるグラバー商会との取引から重機などを中心としていたとされます。

後に起きる「いろは丸事件」から、海援隊へと転じ、新時代を築く足がかりとなっていきます。

今の亀山社中跡には?

坂本龍馬と関係のある場所は未だに多く残ってはいるものの、現在、亀山社中跡には亀山社中記念館がたっています。

ここには坂本龍馬の着物、ブーツやピストルに刀と言ったものの展示が行われています。

その他にも坂本龍馬のブーツを写真をもとにオーダーメイドしての販売なども行われているのだとか。

展示の中には楢崎龍の弾いていた「月琴」など(こちらでは現物出ないもの)も展示されているようです。

その他にも亀山社中のことはもちろん様々な事の乗った資料を配布しているそうです。

最後に

黒船事件から始まり、新時代を迎えるべく走り続けた坂本龍馬の初めの第一歩として亀山社中は始まり、後に海援隊となります。

最初は龍馬同様の浪士などを集めての商社ではあり巻いたが、その活動により時代は移り変わり大きく変わりました。

坂本龍馬は武器商人であり、最初は浪人でした。

そんな彼は亀山社中を設立したときどんな未来を見たのかという思いを、感じてみるのもいいかもしれません。

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