人々の生活の中で何かがあった時の補償として助けになる制度を保険制度といい、ドラマなどでその元は坂本龍馬が作り出したものであるといった話を聞いたという人も多いのではないでしょうか?
確かに坂本龍馬は日本のこれからの為に様々な新たな事を手掛けていたので、未来の為の補償として作り出されたのではと考える方も多いかもしれません。
しかし、実はここで坂本龍馬が関わった保険制度は誰もが思い描くもとは違うの野だったのです。
それでは、坂本龍馬の関わった保険制度についてお話していきます。
坂本龍馬は保険制度の生みの親なのか?
保険制度と聞いて誰もが考えるのはまず医療保険の様なものなのではないでしょうか?
確かに保険と聞くとそちらを考えてしまいそうなものですが、実際に保険とは一言で言ってもその種類や用途は様々です。
結果から言うと、そんな様々な保険の中の1つについて、坂本龍馬は考えていたものがあったといわれています。
そもそも、坂本龍馬の生きた時代には外国ではすでに保険制度がいくつかあり、貿易の合間に彼も見聞きしていたという部分があり、その仕組みについては考えてはいたとされています。
しかし、ご存知の通り龍馬は若くして暗殺されてしまった為、着手することは叶わなかったという話があるようです。
実は坂本龍馬が保険制度のお世話になっていた?
坂本龍馬が立ち上げた貿易会社、亀山社中はその後海援隊へと姿を変えていきます。
その元となったのが「いろは丸沈没事件」でした。
そして、坂本龍馬はこの事件で初めて保険制度のお世話になったのでした。
この「いろは丸沈没事件」とはいろは丸の最初の公開の際、紀州和歌山藩船である光明丸と衝突し、罪にもろとも沈没してしまうという事件でした。
事件の際に坂本龍馬は相手側である紀州藩に賠償の交渉をしたとされており、この積み荷にかかる保険金などを受け取ったとされています。
ただし、この事件には中々に荒々しいやり取りを含めた交渉もあった為、保険制度であるかといわれると、今とはずいぶんと違う印象を受けるようです。
そして時代が移り変わり引き上げられた船の中には、当時騒がれていた積み荷などなかったのでした。
実際に世界にあった保険制度があった?
さて、日本初の保険(一部詐欺だという声もありますが)のもとになった制度は同じ時期に存在しているようなのです。
そのルーツとなる案を出したとされるのはエドモンド・ハリーという天文学者だったとされます。
この型が生命保険の基盤を作ったとされます。
こちらの方が我々の考える保険制度という感じがします。
その後イギリスで数学者である『ジェームズ・ドドソン』によって保険会社が設立され、今に近いものが出来たとされています。